ワインと世界史

旧約聖書とコーシャ

『旧約聖書』とは、古代ユダヤ人によって編纂されたユダヤ教の唯一の正典である。その内容は、ユダヤ人の行動を律する法でありつつも、古代数千年のユダヤ人の思想や活動を網羅しているかのごとく多岐にわたっている。後のキリスト教も、イエスの言行録である『新約聖書』と同様に『旧約聖書』も正典としているが、これは旧約聖書と新約聖書は不可分で密接な関係を持っているからである。

旧約聖書を読み解くことでユダヤ人やユダヤ教がどのように発展してきたか、そして彼らはどのようにワインを飲んできたのか、さらにはどのように現在もワインを飲んでいるのかが見えてくる。まずは、旧約聖書を編纂した持つユダヤ人(=ヘブライ人)の波乱万丈な歴史から見てゆこう。

ヘブライ人の歴史

彼らの歴史は、旧約聖書に事細かに記されている。

紀元前20世紀頃、メソポタミアの都市ウルに住んでいたヘブライ人のアブラハムは、神からの啓示を受け一族を率いてカナンの土地へと移動する。カナンの土地は、地中海と死海に挟まれた地域一帯のことを指し、「乳と蜜の流れる場所」であったり神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから「約束の地」などと呼ばれることもある。カナンに住み着いたヘブライ人は、アブラハムの子イサク、孫ヤコブと続いてゆき、ヤコブの十二人の子がイスラエル十二部族の始祖となった。十二人の子のうちヨゼフは兄弟の恨みを買い、エジプトへ奴隷として売られてしまう。しかし神に守られたヨゼフはエジプトでみるみる出世してゆく。全オリエントを襲った飢饉の際、ついにヨゼフはヤコブと再会を果たし、結果的に一族全員でエジプトに移り住むことになる。子孫のヘブライ人はエジプトでどんどん繁栄していったが、彼らの繁栄を恐れたエジプト王はヘブライ人に重労働の役を課した。こうして長い間ヘブライ人はエジプトで奴隷として扱われることになった。

そんな中、優れたリーダーであったモーセは、神からカナンの土地へ行けとの啓示を受け、ヘブライ人を率いエジプトを脱出しアラビア砂漠へ向かった(出エジプト)。エジプト軍は彼らを追いヘブライ人たちは一時海に追い込まれたが、モーセが手を挙げると海が割れ、ヘブライ人たちは対岸へ渡り難を逃れたという。やがて彼らはシナイ山へたどり着き、そこでモーセは神から十戒(十個の戒律)を授かる。

モーセに率いられたヘブライ人たちは遂に約束の地カナンへたどり着く。カナンの地へ辿り着く前にモーセはカナンへ偵察隊を送り込み、彼らはその土地で採ったぶどうを担いで帰ってきたという。カナンの土地を占領していた民族との戦いの後に、ヘブライ人はこの地を征服し平定する。近隣民族との闘争を続けながら、紀元前1000年頃にサウルがイスラエルの王となった(統一王国時代)。サウルの後を継いだダヴィデは近隣民族を次々と征服し、その後のソロモン王の時代ではエジプトなどの近隣王国と友好関係を結び、エルサレムに神殿を建築するなど最盛を誇った。

カナンの土地からぶどうを運ぶヘブライ人
(Autumn, Nicolas Poussin)

ソロモンの死後、部族間抗争により北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。しかし、紀元前722年にアッシリアのサルゴン二世によりイスラエル王国は滅ぼされてしまう。ユダ王国はしばらく存続したが、アッシリアを滅ぼした新バビロニア帝国のネブカドネザル二世より完全に征服されてしまう。この際ネブカドネザル二世は多くのヘブライ人を捕虜としてバビロニアに連行した(バビロン捕囚)。ちなみにネブカドネザル二世は大のワイン党であったことが知られており、シャンパーニュの15000mlボトル(=ナビュコドノゾール)に名を残している。

紀元前539年、ペルシャ帝国が新バビロニアを破りオリエント全体に大帝国を樹立する。ペルシャ王キュロスは、各民族の宗教を許容することが統治上得策であると考え、ヘブライ人にイスラエルへの帰国を許した。この時期に彼らはエルサレムに神殿を再建し、彼らの宗教をユダヤ教として確立した。旧約聖書の多くはこの時代以降にまとめられたと考えられている。

旧約聖書とワイン

上述の通り、ユダヤ人は二度に渡る他国での居住を含む波乱な歴史を持つ民族であるが、彼らは唯一神ヤハウェへの信仰を固く守っていた。神との契約を守っていればユダヤ人は救われるという選民思想が生まれたが、この神との契約は厳格そのものであり、彼らの正典である旧約聖書にいくつもの厳格な戒律が記されている。

旧約聖書では、神に捧げるものが神から厳格に指示されている。捧げ物の種類と処理の仕方など事細かに記載されているのだが、驚くことにワインは神への捧げものとして全く出てこない。古代エジプトや後のギリシアでは、ワインは神饌として重要な位置を占めているのであるが、ユダヤ教の神はワインはそこまで重視されていなかったのだろうか。

しかしユダヤ人が全くワインを無視しているわけではない。ユダヤ教では、安息日と呼ばれる日が週に一日定められている。安息日は、旧約聖書の創世記に神が天地創造の7日目に休息をとったことに由来し、ユダヤ人は安息日には労働を全くしてはいけないという厳しい戒律がある。この神聖な安息日では、家族全員でワインを分け合い、ブドウの実を捧げてくれた神に特別な祈りを捧げる。この儀式はキドゥーシュと呼ばれ、ユダヤ教の祈祷書(シドゥール)に記載されている。

ユダヤ教では、神がブドウを造り、人間がそのブドウからワインを造ったと考えられている。神との共同作業で作り上げたワインは、神と人間はパートナーであると考えるユダヤ教にとって象徴的な飲み物であるのだ。

旧約聖書では、一貫してワインは人を酔わせ正気を失わせてしまうというネガティブな主張がなされている。酔いそのものをよしとするギリシアのディオニュソス的思考とは相容れない。規律の厳しいユダヤ教では、ワインは理性を受け入れるのを助けるために飲む飲み物であるとされているのである。そのためか、現代でもユダヤ人には酒豪やアルコール中毒者は非常に少ないことが知られている。

コーシャについて

ユダヤの戒律の厳しさを最も体現するものが、食事である。ユダヤ教では、食べてよい食物と食べてはいけない食物が厳格に定められており、この規則はカシュルートと呼ばれる。ヒレや鱗のない魚は食べてはいけない、反芻しなかったり割れた蹄のなかったりする動物は食べてはいけない、猛禽類やカラスは食べてはいけない、バッタ以外の昆虫は食べてはいけない、生き物の血は食べてはいけない、などと旧約聖書で非常に細かく決められている。このような規定に当てはまらない、ユダヤ教徒が食べてよい食べ物はコーシャと呼ばれる。このカシュルートは、現代でも経験なユダヤ教徒には守られている。

この厳しい食事規律は、ワインも例外ではない。偶像崇拝を禁止するユダヤ教において、偶像崇拝によく用いられていたワインに対してはことに慎重であった。そのため、異教徒が触れたワインはすべてコーシャから外れるという厳格な規律が定められている。コーシャとして認められるワインは、ブドウの醸造からボトリング、そして抜栓まで経験なユダヤ教徒が行ったもののみである。醸造の過程でもし異教徒が少しでもタンクを触ったりしてしまった場合でも、そのタンクに入っているワインはコーシャとして認められないという、非常に厳格な規律である。その他にも、ブドウの木を植えてから3年は収穫してはいけないであったり、7年に一度はブドウを採ってワインを造ってはいけないなどの細かい決まりがある。これらの厳しい規律を守り製造されたワインには下記のような印(一例)がつけられる。敬虔なユダヤ教徒のお客様をサーブする際は、提供するワインがコーシャであるかぜひとも注意して頂きたい。

コーシャを示すマーク

最近では、メヴシャルと呼ばれるワインを数秒間加熱する工程を踏んだワインがよくユダヤ教徒の人々に飲まれている。メヴシャルの工程を挟むと、そのワインは宗教上のワインの規定から外れるというため、このような厳しい戒律を行わなくてよいというのである。

コーシャワインの代表として挙げられるのが、イスラエルのゴラン高原にあるゴラン・ハイツ・ワイナリーである。YARDENシリーズで有名なこのワイナリーは、全行程でカシュルートに従っており造られるワインは全てコーシャ認定されている。近年高品質なワインが生産されており、日本でもよく見かけるようになった。世界を代表するコーシャワイン、ぜひ試してみて頂きたい。

以上のように、ユダヤ人はワインを特別な存在に位置づけており、今日もなおワインとともに生きている。彼らの教義やワインの扱いは、後のキリスト教にも重大な影響を与えた。さて、オリエントの話はここまでにして、次からはワイン文化を大成させた地中海世界に話を移そう。

本記事は、ワインの歴史や文化、そしてそれに関わる宗教を広く知ってもらうために、非ユダヤ教徒である私が執筆致しました。内容に誤りや偏見などが無いよう様々な文献を精読し本記事を書き上げましたが、ユダヤ教の教えに反する記載があるかもしれません。もしそのような記載がありましても、決して差別的な意図はございません。不適切な内容がありましたらすぐに修正いたしますので、どうぞご教授よろしくお願いいたします。

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